【THE REAL】富樫敬真が歩む波乱のサッカー人生…デビュー戦の鮮烈ゴールとリオ五輪への決意 | Push on! Mycar-life

【THE REAL】富樫敬真が歩む波乱のサッカー人生…デビュー戦の鮮烈ゴールとリオ五輪への決意

ここまでのサッカー人生をふと振り返ってみる。例えば去年の初夏。関東学院大学の人間環境学部4年生だったFW富樫敬真(とがし けいまん)は、就職活動の真っただなかにいた。

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富樫敬真 参考画像(2016年5月11日)
  • 富樫敬真 参考画像(2016年5月11日)
  • ガーナ戦に挑むU-23日本代表(2016年5月11日)
  • 富樫敬真 参考画像(2016年5月11日)
  • 富樫敬真 参考画像(右/2016年5月11日)
  • 富樫敬真 参考画像(左/2016年5月11日)
  • 富樫敬真 参考画像(2016年5月11日)
  • 富樫敬真が得点(右2016年5月11日)

ここまでのサッカー人生をふと振り返ってみる。例えば去年の初夏。関東学院大学の人間環境学部4年生だったFW富樫敬真(とがし けいまん)は、就職活動の真っただなかにいた。

「といっても、去年のいまごろはどこからも声がかからない状況だったんですけどね」

サッカー部は関東大学リーグ2部の所属。日本大学高校時代もほとんど実績を残していない。そのわずか数カ月後にシンデレラストーリーの幕が開けるとは、誰よりも富樫本人が夢にも思っていなかったはずだ。
■横浜F・マリノスから大学サッカー部への要請

運命を変えたのは横浜F・マリノスを襲った故障禍。練習の人数が足りないと、2006シーズンから業務提携を結んでいた関東学院大学サッカー部へSOSが入る。何人かが呼ばれた練習生のなかに、富樫もいた。

迎えたFC東京との練習試合。右コーナーキックから豪快なヘディング弾を決めた富樫を見て、マリノスを率いるフランス人のエリク・モンバエルツ監督が唸った。

「彼は本物のフォワードだ」

サッカー部に所属したままJクラブの公式戦に出場できる、JFA・Jリーグ特別指定選手としてマリノスに登録されたのが8月5日。そして、J1のピッチに立つ瞬間が訪れたのは9月19日。相手は同じFC東京だった。

「練習試合のことを思い出して、同じことが起こるかもと、軽い期待はしていたんですけど」

後半28分から伊藤翔に代わってワントップに入る。両チームともに無得点のままで迎えた同43分。左サイドからMF中村俊輔があげた絶妙のクロスに、これ以上はないタイミングでゴール前へ飛び込む。

滞空時間の長いジャンプから、上半身を強く前へ押し出して豪快なヘディング弾を見舞う。JFA・Jリーグ特別指定選手では史上3人目となるデビュー戦での初ゴールが勝利を導き、プロになる夢もかなえた。

ホームの日産スタジアムのゴール裏を埋めたマリノスのサポーターへ対して、自己紹介とばかりに左胸を何度も叩く。夢心地にいる本音を、当時の富樫は初々しい言葉と口調で説明している。

「まさかこうなるとは。監督からは『思い切りやれ』と言われたことしか覚えていません。こんなにも多くのサポーターの方が一緒に喜んでくれる瞬間は、僕のサッカー人生ではなかった。いまでもゴールした瞬間が鮮明に思い出されて、まだフワフワしている感じがします」

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■U‐23日本代表として日の丸を背負う

背番号を「37」から「17」に変えて迎えた、Jリーガーとしての1年目。敵地で行われたアルビレックス新潟とのファーストステージ第3節で初先発を果たした富樫は、前半25分にゴールネットを揺らす。

またも「初陣」で結果を出すと、ナビスコカップのグループリーグを含めて、出場した公式戦で3試合連続ゴールをマーク。波に乗る22歳は、U‐23日本代表を率いる手倉森誠監督の目にも留まる。

4月中旬に3日間の日程で行われた静岡県内での短期合宿。富樫を初めて招集した理由を、指揮官は「ポテンシャルがありそうだなと思った。点取り屋としての本能的なところを確かめたい」と説明している。
迎えた5月11日。ガーナ代表を佐賀県鳥栖市のベストアメニティスタジアムに迎えた国際親善試合。先発に抜擢された富樫は、生まれて初めて日の丸を背負う戦いに胸の鼓動が高鳴るのを感じていた。

「いままでとは違う雰囲気のなかで、責任感といったものも芽生えてきたというか」

日本が2点をリードして迎えた前半30分。手倉森監督が期待した「点取り屋としての本能」が富樫のなかで頭をもたげ、ゴールまでの「絵」が瞬間的に描かれた。

相手のクリアミスを拾ったFW浅野拓磨(サンフレッチェ広島)が、左サイドから横パスを送る。富樫はファーサイドに位置を取り、正面にMF野津田岳人(アルビレックス新潟)が入ってきていた。

「でも(野津田が)スルーしてくれる、という感じがしたんです」

とっさの閃きは現実のものとなる。野津田にひきつけられていたガーナの守備陣が、慌てて富樫との間合いを詰めてくる。トラップがやや大きくなったが、それでも冷静沈着でいられる自分に気がついた。

「相手のゴールキーパーがかなり早目に前へ出てきて、自分のところにくいついてきたのが見えていたので、これはループできるかなと。その意味ではイメージ通りでしたね」

思い切り振りあげた右足を、シュートの刹那にソフトタッチへと変える。緩やかな放物線を描いたボールはキーパー、そしてふたりのディフェンダーに見上げられながら、ゆっくりとゴールへ吸い込まれていった。

【次ページ U-23日本代表の初陣へ】

■課題は後半のパフォーマンス

2度あることは3度ある。格言通りに今度はU-23日本代表としての「初陣」で、しかも初戦が日本時間8月5日に迫ったリオデジャネイロ五輪へ向けたサバイバル戦が、本格的に幕を開けた一戦で鮮烈な結果を残した。

「結果的にそうなっていますけど、ビギナーズラックという言葉で片づけられないようにしないと」

苦笑いした富樫はゴール以外にも得た収穫と、マリノスでの戦いから抱えている課題の両方をあげた。まずは収穫。ガーナのディフェンダーを背負いながらバランスを崩さず、正確なボールを味方へ落とし続けた。

「相手は身体能力が高いと思っていたんですけど、いざ背負ってみると思ったよりもできたというか、マリノスのディフェンダーのレベルがいかに高いかがあらためてわかりました。世界の舞台で戦ってきたセンターバックが普段の練習からいるので、よほど先輩たちのほうが強いと思いました。そういうのも生きていたのかなと思っています」
元日本代表の中澤佑二と栗原勇蔵、そしてブラジル人のファビオ。高さと強さ、巧さを兼ね備え、Jリーガーでもトップクラスにランクされるセンターバック陣にもまれ続けた日々が、富樫の体をも鍛え上げていた。

ならば課題とは、ゲームのなかにおけるスタミナとなる。3-0のスコアとともに、対ガーナの勝利を告げるホイッスルをピッチの上で聞いた富樫にとって、90分間フル出場はプロになって初めての経験だった。

マリノスでの最長プレー時間は、柏レイソルとのナビスコカップ・グループリーグにおける63分間。後半のキックオフから早い時間帯でベンチへ下げられる理由を、誰よりも富樫自身が理解していた。

「後半になると、どうしてもプレーのクオリティが落ちてきてしまうんです。そういった部分をマリノスのフィジカルコーチにも相談して、直していきたいと思っている。今日も後半になると足に疲労感がたまってきて、運動量も落ちてしまった。単なる強化試合ではなく(熊本地震への)チャリティーマッチも兼ねていたし、だからこそ後半こそもっといいサッカーをしなければいけなかったのに、個の部分でミスが目立ってしまったことには責任を感じています」

後半アディショナルタイム。右サイドを駆け上がったDF伊東幸敏(鹿島アントラーズ)が、絶妙のクロスをニアサイドへ送る。走り込んできた富樫が右足を合わせたが、ボールはバーの上を越えていった。

「前半にもゴール前へ抜け出したシーンがあった。2点目を決められないのが、いまの自分の実力だと思っています」

【次ページ サッカーをやめようと思ったことも

■サッカーをやめようと思ったことがあった

1993年8月10日に、米国ニューヨークで日本人の父と米国人の母の間に生まれた。敬真という名前は「けいま」ではなく「けいまん」と読む。英語表記が「Cayman」となるのは理由がある。

「両親が新婚旅行でケイマン諸島へ行って、すごく印象深かったみたいなので。本当に綺麗で素敵な島だったから、そこから名前を取ったとは聞きました。4歳からはずっと横浜に住んでいますけど、英語はダメないんですよね。大学で英語の必修科目を落として、親に恥をかかせてしまったくらいなので」
一度だけサッカーをやめようと思ったことがある。中学生時代はマリノスのジュニアユースに所属したが、ユースへの昇格がかなわなかったことで、夢と目標を見失いかけた。

「サッカーがつまらなくなって、本当にやめるくらいの勢いで受験勉強も始めていたんですけど。中学3年生のときにお世話になったコーチがいろいろな高校に電話をかけて推してくれたおかげで、(日本大学高校への)スポーツ推薦枠がひとつ空いたんです。本気でサッカーに取り組める環境を作ってくれたそのコーチの方へは、いまでも感謝の気持ちでいっぱいです」

波乱万丈に富んだサッカー人生に「自分でもびっくりしている」と目を丸くする富樫は、これからは過去を振り返ることなく、さらに右肩上がりの続編を自らの力で綴っていくと決意を新たにする。

「もうびっくりしている場合じゃないですよね。目指す場所は決まっているし、自分のなかでさらに大きくなった。リオへ行きたいと思うだけじゃダメだという感情にも、もちろんなっている。日本(の熊本県)が、こういう状況になっているなかで、オリンピックには僕たちの使命がある。行くだけで満足している選手がいたらもっと難しい大会になるし、その意味でもはき違えることなくやっていきたい」

■シンデレラストーリーは五輪へと向かう

本大会に出場できるのはわずか18人。出場資格を有するのは1993年1月1日以降に生まれた、開催時で23歳以下の選手だが、各チームとも年齢制限のないオーバーエイジを3人まで招集できる。

もちろん日本も例外ではない。実際にJ1で3年連続得点王を獲得しているFW大久保嘉人(川崎フロンターレ)の名前が、スポーツ新聞紙上では取りざたされている。

「オーバーエイジを使わなくても大丈夫だと、オレに思わせてほしい」

ガーナ戦を前に手倉森監督からかけられた熱い言葉を、真正面から受け止めて成長への糧とする。リオを約束の地と決めたからこそ、富樫は現状に満足することなく前へと進んでいく。
「オーバーエイジとしてガーナ戦に出れば、複数のゴールをあげられる選手が間違いなくJ1にはいる。その意味でも1点で満足していたら、揚げ足を取られるというか。後半の出来を見れば、自己採点はプラスマイナスでゼロになっちゃったくらいですね。でもネガティブな意味ではないですよ。プロ1年目でほとんど実績がないなかで、フォワードの自分はわかりやすい結果を残していくしかない。この悔しさを糧に、さらに頑張っていかないといけない」

23歳以下の選手に与えられる一生に一度のチャンスを、そう簡単に年上の選手にはわたさない。試合開始前にはひげを剃り、爪も切ることをルーティーンとする富樫は、そのイケメンの下に不退転の決意をしのばせている。

一度閉ざされたマリノスへの道がひょんなことからつながり、勝ち取ったプロ契約とともに幕を開けたシンデレラストーリーはいま、4年に一度のスポーツ界最大の祭典、五輪へ挑戦する新章に突入した。

《藤江直人》
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